『嫌』なものは『嫌』でいい
「嫌と言うべきではない。それはわがままだ」と思い込んでる人が、日本にはまだまだ多くいます。
「イヤ」という言葉が言えないのも、親や先生の言うことをなんでもよく聞く「いい子」を求めてきた教育の弊害です。
しかし、横暴な上司や先輩に対しても「悪い」と裁くのではなければ「イヤ」で「嫌い」と思ってもいいと思います。
「嫌」なものは「嫌」でいい。生理的なものは、とくに「嫌」でいい。だけど『悪』ではない。
この区別が大切です。
悪にしてしまうと、思考が攻撃に転じてしまいます。
優しい人ほど「嫌」が言えないことが多いですが、その我慢を続けると、相手、または自分への「怒り」へと変わってしまいます。
「嫌」という気持ちも、大切な感情です、しっかりと受け止めましょう。
「嫌い」「悪い」を身体に聞く
「それは嫌い?」「それは悪い?」と言葉にだし、じっくりとカラダの感覚を感じてみます。
「あ、これは嫌いだな」や「あーこれは悪いだなと」ジャッジしていることをカラダが教えてくれます。
頭でなくカラダで感じる純粋な「嫌い」には「嫌いだから仕方ない」とOKを出せるようになるとともに「悪い」と考えている自分を、冷静に客観視できるようにもなります。
常に「私は今何を感じているのか?」とカラダに聞くようにすることで「嫌悪」だけでなく、
自分の本音に気付けるように変わっていきます。
「嫌い」と「悪い」を仕分ける
①会社や生活で嫌だと思っていることをノートに書き出す。
②じっくり眺め、「嫌い」と「悪い」に分類する。
・カラダに聞いてみると、なお良い。
・両方に当てはまる場合は「悪い」にする。
③それが「悪い」に分類された場合、そこにどんな「思い込み」があるかを考える。
思い込みやすい(例)
・人を頼ってはいけない
・迷惑をかけてはいけない
・失敗してはいけない
・休んではいけない
・人を信用してはいけない
・逃げてはいけない
・弱音を吐いてはいけない
・怒ってはいけない
・不安になってはいけない
・〜するべき
・〜ねばならない
○自分ルールが過剰だと、他人や自分を裁き、嫌悪や怒りがたくさん出てきてしまいます。
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